広島高等裁判所 昭和32年(ツ)27号 判決 1958年10月21日
上告人 被控訴人・被告 壱岐与蔵
訴訟代理人 民繁福寿
被上告人 控訴人・原告 株式会社佐伯工務店 代表者 代表取締役 佐伯フサコ
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
本件上告理由は末尾添付の上告代理人提出の上告理由書の通りで、これに対して次のように判断する。
第一点について
裁判上の和解の法律上の性質については種々の見解があるが一面において訴訟行為であることは間違いなく、只一般にその成立の過程において私法行為の面に重点が置かれているに過ぎない。
従てそれが有効に成立するためには訴訟法上も私法上も共に有效であることを要すると解するところ、原判決の確定したところによると、本件和解手続において被上告会社が参加しているのは無権限者内山富士男によつてなされたもので代理権が欠缺しているに拘らず今日に至るまで裁判所に対して追認がなされていないと謂うのであるから、被上告会社と上告人間の本件裁判上の和解が無効であることは勿論である。所論のように商法第二六二条の表見代表取締役の規定が本件和解の私法上の契約の面において適用ありと解される余地のあることは格別、本件裁判上の和解は前示のように訴訟行為であるから私法上の法律行為に関する規定従て商法第二六二条の規定の如きも適用なしと解するのが相当である。如上と同趣旨の見解の下に本件裁判上の和解は訴訟行為であり上告人、被上告人間の無権限者内山の行為によるものとして無効と解した原判決はもとより相当で、所論のように法律解釈、適用を誤つた不法もなく、理由を明白に示さない不備もないものと謂うべく、結局所論は裁判上の和解が訴訟行為である面を看過し専ら私法上の契約の面を強調して原判決を論難するものでこれを採用し難い。
第二点について
所論の原判決の説示は用語において不足し事実の認定と法的判断が合一してなされていて所論のような誤解を招く嫌いはあるが被上告会社が裁判上の和解金の内払として金一万円を支払つて黙示の追認をなした事実は各証拠によつても認められないと説示して追認の事実関係を否定していることが明白である。従て無権代理追認に関する法の適用を判示する要をみなかつたものであるから所論のような理由を附しない不法は存しない。
以上のように論旨は採用できないので本件上告を棄却することとし民事訴訟法第四〇一条第三九六条第三八四条第九五条第八九条を適用して主文のように判決した。
(裁判長裁判官 岡田建治 裁判官 佐伯欽治 裁判官 松本冬樹)
上告代理人民繁福寿の上告理由
第一点原判決は其主文に「船木簡易裁判所云々裁判上の和解は無効であることを確認する」と宣言し之が理由として「表見代表取締役の行為に付会社に其責任を負担させる商法第二六二条は商取引に於ける善意の第三者保護を目的とする規定であつて云々代表又は代理権の証明を要する訴訟手続に於ては善意の相手方等を保護することを要せず従つて表見代表取締役の訴訟行為に付ては同条を適用すべきもので無い」と説示せり、会社は和解を為すを主たる目的とするものであつて訴訟行為を目的とするものではない。併し訴訟行為を目的とせざるも其目的が和解を為して訴訟を終結せしめんとするにあるが故に訴訟経済上第三者を利害関係人として加入せしめて裁判上の和解を為すことを認め居れるものの如し。此場合目的の如何にあるを問わず、裁判上の和解であるが故に之を目するに訴訟行為であると称するも穴勝愚論でもあるまい。訴訟行為をなすものとせば自己の立場即ち代表又は代理権の存在を証明すべきである。併し之を証明せずして訴訟行為をなしたとするも当然無効ではない。彼の未成年者禁治産者が其能力のないことを秘して訴訟行為した場合に法定代理権者が追認を為すこと得ると等しく本件無権代理人の為したる裁判上の和解も被上告会社は追認することを得べきである。故に追認なき迄は所謂瑕疵ある又は未完成の和解として執行力なきものとするも当然無効にあらず此点にる原判決は法律解釈又は適用を誤れる不法あり裁判上の和解は其効力確定判決と同視せられ執行の基本となる関すも其実体は当事者間の私法上の契約である故に実体上の効果は実体法たる商法第二六二条に拠りて有効、無効を定むべきである。此点に関する原判決の要旨は「同条は商取引に於ける善意の第三者を保護することを目的とする規定であつて商取引にあらざる裁判上の和解即ち裁判上の行為に付ては其適用がない」と謂へるものの如くである。然れども右判決は裁判上の和解は専ら訴訟行為のみなりとの観念の下に立論せるものにて私法上の契約なることを度外視し之を看過せる誤ありと言うべきである。殊に商法第二六二条の適用ある表見代表取締役の行為が「商取引に於て」とは如何なる範囲の取引を言へるものなるか詳言せば商法に言う絶対的商行為のみに限り附属的若くは推定的商行為は包含せずとの意味なるか其限界を知るに苦しむ処である。商法第二六二条には云々「会社を代表する権限を有するものと認むべき名称を附したる取締役の為したる行為に付ては」と規定せられ何等の制限を付したるものあるを認めず故に社会常識上又は理論上より観察して会社の目的たる営業の為め又は営業に関連ある行為たるものに対しては会社は其責任を負うべきであると解するを至当とする。本件裁判上の和解は被上告会社の常務取締役内山富士夫が代表取締役と称して訴外中田佐三郎が上告人に対して負担せる売買代金(左官材料代金)債務を引受け支払うことを約したる私法上の契約であつて而かも中田佐三郎は従来被上告会社の工事の請負をなして之に従事し今後も亦工事の請負を為さしむる関係にあつたものであるから被上告会社の営業に関し若くは関連し営業目的を達する上に相当の役割を為せる契約であると認むべきである。商法第二六二条は当さに本件の場合に適用して茲に始めて法の目的精神に適うものである。依つて原判決は法の解釈適用を誤まり且何故に本件和解が商法第二六二条に該当せざるかの理由を明白に示さざる不備の判決と言うべきである。
第二点原判決は理由の前段に於て「上告人は被上告会社が裁判上の和解金の内払として金壱万円を支払いたるは黙示の追認を為したるものであつて和解は其効力を発生せしめるものであると抗弁事実を主張するも各証拠に因るも肯定するに足らず」と判示せるが、上告人の抗弁事実は要するに本件和解は商法第二六二条に依り表見代表取締役の行為であるから被上告会社に其責任があるも仮りに無権代理人の行為とするも被上告会社は金壱万円を内払せるものである故に追認したものであると主張したのである。故に第一の抗弁が容れらるれば第二の抗弁は自ら消滅するのである。原判決は右第一の抗弁を否定しながら第二の抗弁に付ては首肯するに足る理由を付せざるべからざるに単に「上告人の抗弁は肯認出来ない」と判示したのみで何等の理由を示さざるに依り原判決の意図は那辺にあるやを知らざるが今之を推考せんに本件は表見代表取締役の行為である故無権代理に関する法の適用なく追認を認めずとの趣意ならんか其理由を明示すべきであり、或は被上告会社の主張の如く被上告会社以外の第三者が金員を支払いたるものであるから追認問題を生ぜずとの意ならんか然らば其理由を説示せざるべからざるものである。従つて単に主張事実を肯認することが出来ないとの判示にては判決に重要なる理由を備へざる不法の判決である。